2020年01月26日

さっぱりわからない


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雪が降らなくてよかったです。
明日は降るのでしょうか?
今日はこれから国分寺に向かいます。
お近くでお時間ある方がいらっしゃいましたら
遊びに来ていただけたらと、思います。
よろしくお願いします!!

続けてみます。

午前11時19分、私は救急車で
近くの埼玉医科大学医療センターに担ぎ込まれた。
当然ながら容体は極めて危険な状態にあった。 
血気胸-----折れた多数の肋骨が肺を傷つけ、
空気が漏れ、大量に出血していた。
さらに腹腔内出血、腰椎骨折、下腿骨折、
脛骨・ひ骨骨折等の重症でした。
 肺の出血が止まらず、血圧が低下。
ショック死の危険があり、夕方5時、開胸手術。
ろっ間動脈をしばって、ようやく出血がおさまった。
 大阪から駆けつけた両親は全身が腫れ上がり、
変わり果てた息子の姿に、ただ”生きてくれ!”と祈るしかなかった。
 ひとヤマ越えたとはいえ、大量出血に世路感染症、
呼吸器の合併症による生命の危険は依然として高く、
予断を許さなかった。
 改善には、肺にたまる水分を排出する必要があったが、
腰椎の激しい骨折が治療を困難にしていた。
さらに39度台の高熱が続き、予定していた腰椎の手術も延期に。
手術が遅れるほど下半身不随の危険が増した。
 死魔と戦う私を救おうと医師も全力を挙げた。

 「たつじがビルから落ちた。重体」と、
いう知らせが地元や音楽の仲間、高校、大学の同窓生等に伝えられると
二日間で200通もの応援メッセージが寄せられた。
「タツジ、生きろ!」「元気になって、もう一度、歌を聞かせてくれ!」
 両親がメッセージを伝えると意識不明の私の目から涙がこぼれた。
皆の祈り、皆の思いは間違いなく私の命に響いていた。
 腰椎の手術が行われたのは3月16日。父の誕生日。
無事、成功した。が、医師は両親に
「下半身を動かせるようになる可能性はゼロに近い」と覚悟を促した。
母は念を押すように聞き返した。
「ゼロではないんですね!」。
医師の言葉にむしろ希望を見出していた。

 18日ようやく意識が戻った。
母の言葉にうんうんとうなずき、父が握る手をギュッと握り返した。
”立司が生き返った!” 
肺の機能は順調に回復し、3月25日足の手術が行われた。
皮膚を破って突き出していた骨をようやく処置できた。
歩ける見通しは暗かった。
4月6日やっと集中治療室を出、一般病棟に移る事が出来ました。
私の記憶があるのはこの辺りからです。
しかし、気管に付けた人工呼吸器のため、
声も出せず、手と首しか動かない状況に私は戸惑いました。
無理の動かそうとすると激痛が走る。
「まるで胸から下を、はりつけにされたような感じで」
何が起こったのかもわからない。


1/26(日)国分寺 Giee
2/ 2(日)日野 Soul K
2/ 8(土)祖師ヶ谷大蔵 ゴキゲンヤ
2/15(土)くずは L,A,M,F
2/16(日)神戸 高架57
2/17(月)西成 難波屋
2/23(日)武蔵小山6GRAMS studio
3/ 3(火)六本木 惣’s Bar
3/20(祝) 新宿Kavach-Ya
3/29(日)祖師ヶ谷大蔵 ゴキゲンヤ
4/  3(水)阿佐ヶ谷 ハーネス
4/11(土)六本木 惣’s Bar
4/18(土)柏 ちゃぶ音
4/19(日)高円寺 Moon Stomp
4/25(土)祖師ヶ谷大蔵 ゴキゲンヤ

posted by タツジ at 15:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする